【ご案内】 本連載は、一個人の体験に基づく参考情報です。私は医療の専門家ではありません。症状には個人差がありますので、違和感がある場合は自己判断せず、速やかに専門医(肛門科)の門を叩くことを強く推奨いたします。
喉元過ぎれば「痛み」忘れる
排便のたびに絶叫していた日々から少し経ち、ようやく私のお尻にも平穏が訪れつつありました。 「出しては切れ、寝ては回復し」という地道なサイクルを繰り返すうちに、傷口は少しずつ、しかし確実に癒えてきていたのです。
それは職場で業務に励んでいた時のこと。 お尻の痛みが和らいでくると、不思議なもので、あれほど頭の中を支配していた「痔」の存在が、思考の隅へと追いやられていきます。痛みから解放されると体の動きも心も軽やかになり、私は本来の「仕事に集中する自分」を取り戻していました。
その瞬間までは。
「ちょっといいですか?」
背後から同僚に声をかけられた私は、ごく自然な、あまりに自然な動作で上半身をひねり、後ろを向きました。
「ピキッ……!!」
お尻の端に、鋭利なカミソリで切り裂かれたような衝撃が走りました。 「ハウッ!」という、もはやお馴染みとなった悲鳴を上げ、私はそのままフリーズしました。ただ振り返っただけ。それだけの動作で、ようやく癒えかけていた粘膜は限界を迎え、鮮やかに崩壊したのです。振り返ればケツ切れる。仕事への集中力が仇となった、情けない瞬間の再来でした。
「治りかけ」という名の地雷原
結局のところ、私は「治りかけ」という状態の危うさを完全に見くびっていました。 痛みが引いたからといって、傷が完全に消えたわけではありません。お尻の傷口は、例えるなら「生乾きのボンド」のようなもの。少しでも張力がかかれば、あっけなく剥がれ、再び鮮血を招きます。
振り返る動作だけではありません。 不意に襲ってくる「くしゃみ」も、この時期は致命的な一撃になります。くしゃみをする瞬間、お尻にかかる急激な圧力は、せっかく塞がった傷口を内側から爆破するようなもの。
「ハクション!」という音と同時に走る「ピキッ!」という振動。 さらには、階段を上る際に少しだけ高く足を上げた時や、椅子から立ち上がろうと踏ん張った瞬間。以前は無意識にこなしていた動作の数々がお尻に襲いかかってくるのです。
繰り返される再発、募る絶望
こうした「ちょっとした動作での再発」を、私はこの時期に何度も経験することになりました。
仕事に集中してはお尻のことを忘れ、不意な動作で激痛が走り、「ああ、まだ治っていなかったんだ」と現実に引き戻される。重い荷物を持ち上げた拍子にピキッ、急ぎ足で歩いた拍子にピキッ。そのたびに私の心は削られ、「この傷は一生、完全に閉じることはないのではないか」という疑念すら湧いてきました。
昨日よりも今日、今日よりも明日。少しずつ良くなっているはずなのに、一瞬の油断で時計の針が数日分巻き戻される。この「一進一退」の繰り返しこそが、痔主が味わう真の孤独な闘いなのです。
スローモーション・ライフの幕開け
相次ぐ「不意打ちの裂傷」に心まで折れかけた私は、ある一つの結論に達しました。
「このお尻が完治するまで、私は人間としての俊敏性を捨てる」
この日を境に、私の日常の動きはすべてスローモーションへと切り替わりました。 椅子から立ち上がる時は、四股を踏む力士のようにゆっくりと重心を移動させ、数秒かけて垂直方向へ浮上します。階段を上る時は、一歩踏み出すごとにお尻の皮膚の突っ張り具合を確認し、安全が確認できてから次の一歩を繰り出す。
特に気を使うのが、やはり「振り返る」動作です。 同僚に呼ばれても、決して首だけで反応してはいけません。上半身と下半身の捻れ(ツイスト)こそが最大の禁忌。私は椅子ごと、あるいは体全体を重機のようにゆっくりと旋回させ、「……はい、何でしょう?」と、まるで映画のスロー映像のような速度で対応するようになりました。
周囲から見れば「最近、えらく落ち着き払っているな」あるいは「やけに動作が丁寧になったな」と思われていたかもしれません。まさかその実態が、繰り返されるお尻の裂傷にビクビクと怯え、極限の慎重派へと変貌していただけだとは、誰も知る由もありません。
こうして常に意識して動作することで、日中にお尻を切ってしまう頻度は劇的に減りました。
しかし、どれほど警戒を強めても、私にはどうしてもコントロールできない時間が待っていたのです。意識という防波堤が消え去り、本能のままに体が動いてしまう「眠り」の時間。
そう、逃げ場のない夜の恐怖、そして次なる絶望の種が、暗闇の中で私を待ち構えていました。
【本日の教訓】
・痛みが引いた時こそ警戒を怠ってはいけません。あなたの傷口は、まだ生乾きなのですから。
・俊敏性は捨てなさい。当たり前だった行動も、すべてお尻への攻撃となるのです。



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