「継続は力なり」って言葉、よく聞くけど、最近ちょっと考え直してみた。 本当に“続けること”って、いつでも正しいのかな?って。
もちろん、続けることで得られるものはある。慣れとか、スピードとか、精度とか。 でも、それって“意味”はあっても、“意義”はあるのかな?って思ったんだ。
意味と意義って何が違うの?
ざっくり言うと、「意味」はその行動が何を表しているか。 「意義」はその行動がなぜ価値あるものなのか。
たとえば、毎朝体重を測ること。 意味は「自分の体重を記録すること」。 でも意義は、「健康を意識して生活を整えるため」だったり、「自分の変化を見つめるため」だったりする。
ただ測るだけなら意味はある。 でも、何の目的もなく、ただ惰性で続けているなら、意義はないかもしれない。
続けることに意味はある。続けるだけでは意義はない。
昔、毎日同じ作業を繰り返していたことがある。 最初は新鮮だったけど、だんだん「なんでこれやってるんだっけ?」って思うようになって。 慣れてきて、作業は早くなったし、正確にもなった。 でも、心はどんどん乾いていった。
そのとき気づいたのは、「続けること」そのものが目的になってしまうと、苦しくなるってこと。 「やめたらダメだ」「続けなきゃ意味がない」って思い込んでたけど、実はその“意味”にこだわりすぎて、“意義”を見失ってたんだと思う。
楽しくない継続は、やめてもいい
「楽しくないことを続けることに意義は見いだせない」 この言葉、最近すごくしっくりきてる。
もちろん、何でもかんでも楽しくなきゃダメってわけじゃない。 でも、「うまくなりたい」「誰かに届けたい」「自分を満たしたい」っていう気持ちがないまま続けてることって、ただの“作業”になっちゃう。
やらされてること、なんとなく続けてるだけのこと。 そういうのは、思い切ってやめてもいいと思う。 むしろ、やめることで新しい意義のある行動が見つかるかもしれない。
継続の中に、自分の想いを差し込もう
続けることに意味はある。 でも、続けるだけでは意義はない。
だからこそ、「なぜ続けるのか?」を問い直すことが大事。 その行動が、自分を満たしているか? 楽しいか? 成長につながっているか?
そんな問いを持ちながら続けることで、継続はただの習慣じゃなくて、自分の軸になる。
「継続は力なり」って言葉を、ただの根性論じゃなくて、自分の心に寄り添う言葉に変えていけたらいいな。 続けることに意味を見つけたら、次は意義を探してみよう。 その先に、きっと自分だけの“続ける理由”が見つかるはず。
そして、この記事が100記事目になりました
「まずは100記事書く」 そんな目標を胸に、少しずつ、でも確かに積み重ねてきた日々。 気づけば、この記事がその100個目。
続けるって、最初はただの数字の積み上げだった。 でも、記事を書くたびに「今日は何が面白いかな?」「もっと楽にできる方法は?」って、日常の見え方が変わっていった。 不思議なこと、便利なもの、ちょっとした違和感。 それらが全部、ネタになって、誰かの役に立つかもしれないって思えるようになった。
そして何より、読んでくれた人から反応があると、楽しさが何倍にもなる。 「続けることに意味はある。でも、続けるだけでは意義はない」 この言葉を、今の自分の実感として書けることが、何よりうれしい。
これからも、意味だけじゃなく、意義のある記事を届けていけたらいいな。
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