年賀状を「義務」から「心遣い」へ:現代の目的と「年賀状じまい」を考える

年賀状を「義務」から「心遣い」へ:現代の目的と「年賀状じまい」を考える

毎年秋が深まると、頭をよぎるのが「年賀状」の二文字だ。うかうかしているとインクジェット紙や人気の限定はがきが売り切れになってしまう。多くの人が「そろそろ準備を始めないと」という焦燥感に駆られる。しかし、立ち止まって考えてみれば、この古くからの風習が、現代においてどのような意味を持つのか、その目的は変わりつつあるのではないだろうか。

目次

年賀状の歴史が示す「つながりの力」

年賀状の起源は平安時代に遡る。新年に目上の人へ直接挨拶に伺う「年始回り」の代わりとして、遠方にいる人へ書状を送ったのが始まりだ。江戸時代に飛脚制度が整い、明治時代に郵便制度が確立する中で、この文化は庶民へと広がり、現在の形になった。

特に、年賀状が国民的行事となった最大のきっかけは、戦後の混乱期に導入された「お年玉付年賀はがき」にある。これは単に通信手段を提供するだけでなく、「音信不通になった人の安否を確かめ、励まし合う」という、当時の日本社会にとって非常に切実な目的を担っていた。はがきに付いた「くじ」は、疲弊した国民の心に一筋の光と夢を与え、年賀状は単なる挨拶状から、国民全体の希望を乗せたメディアへと進化したのだ。

私の祖父母世代も、戦後の混乱期に年賀状のやり取りで友人の無事を知り、安堵したというエピソードを聞いたことがある。当時の年賀状は、命の無事を知らせる大切な「通信」のような役割を果たしていたのだろう。

義務的な年賀状からの解放

しかし、現代社会では安否確認の手段は多様化している。LINEやSNSを使えば、相手の顔や近況はリアルタイムで把握できるようになった。その結果、「遠方の親戚や恩師には送るけれど、毎日顔を合わせる職場の同僚には不要ではないか」という疑問が生まれるのは自然な流れだ。

特に、仕事関係や義務感から惰性で送る年賀状は、書く側にとっても、受け取る側にとっても負担になりかねない。かつては義理で続けていた取引先への年賀状を、思い切ってやめてみたところ、先方から「これで私たちも気を遣わずに済みます」と感謝されたという話を聞いたこともある。現代においては、形式的な付き合いよりも、本質的な心遣いがより重視される傾向にある。

だからこそ、年賀状を「義務」のリストから外し、「心遣い」のツールとして捉え直すことが重要だ。

「年賀状じまい」と残したい年賀状

近年、「年賀状じまい」という言葉が一般化している。これは、年賀状のやり取りを終えることを宣言するもので、関係性に配慮しつつ、新年の挨拶の形式を自由にする賢明な選択と言える。

一方で、遠方の親戚や、デジタルツールを使わない年配の方々にとっては、年賀状は今なお重要な「つながりの媒体」である。年に一度、近況を印刷したはがきを受け取ることで、「今年も元気でいる」という安心感を得られるのだ。また、礼儀やマナーを重んじる方々に対しては、手書きで一言を添えた年賀状が、丁寧な敬意を示すことにつながる。

私自身、昔は楽しみにしていたお年玉くじが、年々減っていく寂しさもある。まぁ切手シートくらいしか当たったことはありませんが。しかし、はがきの裏面に貼られた家族写真や、達筆な文字で書かれた手書きの短いメッセージを見ると、その手間ひまこそが、相手の健康を気遣う温かい気持ちの証だと感じられる。

年賀状は、もはや全員に送るべき「国民の義務」ではない。新年の挨拶の方法は多様になったが、だからこそ、誰に、どんな気持ちを、どんな方法で伝えたいのかを吟味し、本当に大切な人へ心を込めて送る「選ばれた挨拶」として、年賀状文化はこれからも続いていくのだろう。

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