以前まで、私はたくさんの仕事や作業をこなせる人が「有能な人間」だと思い込んでいました。常に忙しく動き回り、通知が鳴れば即座に反応し、締め切り前はカフェインを大量摂取して深夜まで働いて大量の作業を片付ける。これが「デキる人」のスタイルだと信じて疑いませんでした。
しかし、振り返ってみれば、その実態は「常に何かに追われ、焦燥感に駆られている人」でした。急いでいるがゆえに、ちょっとした確認のし忘れ、小さなミスの繰り返し、そして何より、周囲への配慮の欠如が目立っていました。想定外のトラブルで心に余裕がなく、慌てて走っている姿はとても「デキる人」には見えません。
現場で気づいた「走らない優雅さ」
この自己認識がガラリと変わったのは、ある重要な場面での出来事です。
その出来事は、複数の人が関わり、準備に時間を要する複雑な状況下で起こりました。ただでさえスケジュールはタイトだったところに、予想外の最大のトラブルが発生しました。私たちが用意するはずだったものに、致命的な問題が見つかったのです。
周囲は一瞬でパニックに陥りました。「どうするんだ!」「誰のせいだ!」という焦りと非難の声が飛び交い、私も例外なく頭が真っ白になりかけました。しかし、その時、その場を仕切っていたAさんの行動が、私の固定観念を打ち破りました。
Aさんは、騒然とする状況の中央に立ちましたが、声のトーンは驚くほど静かで、焦りの色は微塵もありませんでした。周囲が感情的になっているにもかかわらず、Aさんの姿はまるで日曜日の午後のように穏やかでした。
Aさんは言いました。「皆さん、座ってください。原因は後で検証しましょう。今、必要なのは、最悪の事態を避けるための最初の行動です。」
そして、Aさんは冷静に三つの項目を書き出しました。
- 影響範囲の特定: この問題の影響を受ける人は誰か。
- 緊急回避行動: 問題の発生源を一旦止め、代替手段でつなぐ。
- 目標の再設定: 元の完了予定は厳しい。新しい目標を即座に関係者と交渉する。
Aさんは、私たち全員がパニックで「なぜ」を議論している間に、すでに「何を」すべきかを明確に判断し、優先順位をつけ、その場でやるべきことを割り振っていきました。その一連の流れには、無駄な動きが一切ありませんでした。物理的にも精神的にも、Aさんの振る舞いは「慌てず」「走らず」優雅だったのです。
「余裕」は単なる度胸ではなく「計画」だった
Aさんの姿を見て、私は悟りました。優秀な人の「慌てない」振る舞いは、単なる生まれ持った才能や度胸ではありません。それは、徹底した「余裕の確保」によって作り出された、論理的な状態なのだと。
Aさんは後で、私たちにこう教えてくれました。「私はスケジュールを立てる時、必ず3割の時間を空けています。それは休憩のためではなく、『トラブルが起きた時のための保険』です。あの時、皆さんが焦っていたのは、その保険を持っていなかったからですよ。」
これは、私がこれまで「優秀さ」だと誤解していた、計画を隙間なく埋める行為が、いかに脆いものだったかを突きつけました。「慌てて走る」という行為は、突き詰めれば「計画の破綻」を意味します。保険がない状態で想定外の事態が起き、それを力ずくでリカバリーしようと焦り、心身に余裕がなくなり、反射的に動いてミスを重ねる。これこそが、かつての私の日常でした。
走るのをやめた先にあったもの
Aさんの教えを受けてから、私は自分の行動の進め方を根本的に見直しました。
まず、日々の計画から「満員電車のようなスケジュール」を排除し、30%の余裕を組み込むことを習慣化しました。また、重要な場面の前には必ず「これが失敗したらどうなるか?」という最悪のケースを書き出し、事前に「判断基準」(何を優先し、何を捨てるか)を決めておくようになりました。
この変化がもたらした最大の効果は、焦燥感の消失です。
心にゆとりが生まれたことで、一つ一つの行動を深く考え、より丁寧に取り組めるようになりました。急な割り込みが入っても、「よし、保険を使おう」と冷静に対応でき、誰かに助けを求められても、穏やかな態度で耳を傾けられるようになりました。
不思議なことに、「走るのをやめた」ことで、かえって行動の質が上がり、周囲からの信頼も厚くなったように感じています。
「余裕を持った計画と行動」は、自分自身をトラブルから守る盾であると同時に、周囲に安心感を与える優雅な振る舞いなのです。もし今、あなたが何かに追われ「走っている」と感じているなら、一度立ち止まり、計画に「ゆとり」を組み込むことから始めてみてください。きっと、これまで見えなかった景色が見えてくるはずです。


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