先日、いつものように近所のスーパーへ買い物に出かけました。
週末の買い出しということもあり、カゴには牛乳、卵、野菜といった食料品の他に、お菓子作りに使うためのグラニュー糖 500g の袋も放り込みました。ずっしりと重くなるカゴを満たし、会計を済ませて、いざバッグに商品を詰める作業に取り掛かったときのことです。
レジの向こう側から、店員さんの声が聞こえてきました。
「すみません、塩とか購入されましたか?」
一瞬、自分に問いかけられたのか分からず、手を止めてしまいました。頭の中でカゴの中身を思い浮かべてみますが、塩を買った覚えはありません。私は「買ってません」と答え、再びバッグに商品を詰める作業に戻ろうとしました。
すると、その店員さんは、私だけでなく他のお客さんに対しても、少し大きな声で問いかけ始めたのです。
「塩とか砂糖のような、白い粉末状のものを買われた方はいらっしゃいますか?」
この言葉を聞いた瞬間、私の脳内で何かがピコン!と光りました。
グラニュー糖!
そういえば、さっき、グラニュー糖 500g の袋を買ったばかりです。
「あ、わたし、砂糖(グラニュー糖)買いました!」
そう名乗り出て、店員さんの視線が向かう先を見て、私は思わず「あっ」と声を上げました。
そこには、レジ台の上に、まるで儀式に使う「盛り塩」のように、こんもりとした白い粉の山が築かれていたのです。それは、会計を終えてまだ私が詰める前の商品たちと、レジ台に、静かに、しかししっかりと存在感を持ってありました。
その白い山の正体こそが、私が購入したはずのグラニュー糖だったのです。
よく見ると、私が買っていたグラニュー糖の袋には、まるで定規で引いたかのような、鋭角な「直角の穴」が開いていました。おそらく、カゴやカートの中で、あるいはレジで商品を動かす際に、何かの箱の角に突き刺さってしまったのでしょう。
その穴からグラニュー糖が流れ出し、レジ台に「白い山」を作り、そして私のバッグの中にまで降り積もっていたのです。慌ててバッグの中を確認すると、牛乳パックや野菜の隙間、そしてバッグの底にも、キラキラと輝くグラニュー糖が降り積もっているのが見えました。
あのまま店員さんの問いかけに気づかずに帰っていたら、どうなっていただろうか。
想像するとゾッとします。
帰宅後、バッグの底にはり付いたグラニュー糖が虫を呼んでしまうかもしれません。あるいは、穴が開いたままの商品を持って帰ってしまい、再度スーパーに戻って交換をお願いしなければならないという二度手間になっていたかもしれません。
私は店員さんに、破れたグラニュー糖の袋を見せました。
店員さんは状況をすぐに理解し、謝罪とともに、「こちらで新しいものをご用意します」と、すぐに棚から新しいグラニュー糖を持ってきて、私に渡してくれました。さらに、レジ台を丁寧に掃除し、私に対しても他の商品に影響がないか確認してくれました。その手際の良さと親切な対応には、本当に頭が下がりました。
帰宅してから、私はまずバッグの中身をすべて出し、掃除機で丁寧にグラニュー糖の粒を吸い取りました。そして、バッグ本体は洗濯機へ。手間はかかりましたが、すぐに気がつくことができて対処を済ませられたことへの安堵感は、何物にも代えがたいものでした。
今回の出来事で、私はスーパーで働く人々の「注意力」と「親切心」のありがたさを痛感しました。
もし、あの店員さんがレジ台の上の盛り塩(笑)に気づかず、「塩とか砂糖のようなものを買われたか」と、塩以外の可能性も提示してまで確認しなかったら、私は何も知らずに帰宅していました。その観察眼と、お客さんの不利益を未然に防ごうとする手厚い接客に、心から感謝の気持ちが湧いてきました。
今回の「盛り塩(笑)」事件は、ちょっとしたハプニングでしたが、商品が運ばれていく過程には小さなリスクが潜んでいること、そしてそれを救ってくれるのは、現場で働く人々の気配りであることを教えてくれました。
これからは、私も袋物を買うときは、尖った商品の角から遠ざけて優しくカゴに入れるようにしよう。そう心に誓いました。
あの親切な店員さんに、改めて「ありがとうございました」と伝えたい気持ちでいっぱいです。


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