先日、近所のコンビニに立ち寄った。目的は特になく、なんとなく「明日のパンでも買っておこうかな」と思っただけだったのに、気づけばかごの中は2リットルの水、新作スイーツ、スナック菓子、おにぎり、冷凍食品、そしてパンと、ちょっとした買い物祭りになっていた。
レジに向かうと、大学生くらいの若い店員さんがさわやかな笑顔で迎えてくれた。「レジ袋は有料ですが、いかがされますか?」と聞かれ、いつものように「マイバッグがあります」と答える。わたしはバッグを広げ、商品を入れる準備をしながら、バーコードの読み取りを待っていた。
そのとき、店員さんがまず2リットルの水を読み取り、レジ台の奥、つまり自分から見て手前側にそっと置いてくれた。それは、マイバッグに詰める自分にとって、最も取りやすい位置だった。店員さんにとっては自分から遠くて置きにくい位置。重くて固いものは袋の底に入れたい。そんな気持ちを、言葉にしなくても察してくれたような動きだった。
その後も、冷凍食品やおにぎりなど、形が崩れにくいものから順に読み取り、最後にパンやスナック菓子などの柔らかいものを扱ってくれた。まるで、袋詰めの順番を逆算しているかのような手際の良さ。自然体で、さりげなく。
気配りはマニュアルだけじゃない
調べてみると、コンビニの袋詰めには一定のマニュアルがあるらしい。重いものから先に入れる、潰れやすいものは最後に、冷たいものと温かいものは分ける、など。
でも、あの日の店員さんの動きは、マニュアルを超えていたように感じた。わたしのマイバッグの広げ方や、自分の立ち位置、手の動きまで見て、最もスムーズに袋詰めできるように配慮してくれていた。それは、ただの業務ではなく、「目の前の人を思いやる気持ち」がにじみ出ていたように思う。
さりげない優しさに触れて
その瞬間、自分の中で何かがふわっと動いた。「ああ、こういう人になりたい」と思った。誰かの動きや気持ちを察して、自然に手を差し伸べられるような人。言葉にしなくても、相手が「ありがとう」と感じるような行動ができる人。
気配りって、特別なスキルじゃない。でも、日々の中で意識していないと、なかなかできないものだと思う。忙しいとき、疲れているとき、つい自分のことで精一杯になってしまう。でも、そんなときこそ、誰かのさりげない優しさに触れると、心がほぐれて、また誰かに優しくしたくなる。
日常の中の小さな感動
コンビニは、日常の中にある最も身近な場所のひとつ。だからこそ、そこで感じた小さな感動は、特別なものに思える。マイバッグを広げて商品を詰めるという、ほんの数秒のやりとりの中に、こんなにも心が動く瞬間があるなんて。
次にコンビニへ行くときは、どんな店員さんに出会えるだろう。バーコードの読み取りの順番や、商品の置き方を観察してみるのも面白いかもしれない。もしかしたら、また新しい気配りの形に出会えるかもしれない。
そして、自分もまた、誰かの「取りやすい位置」にそっと何かを置けるような人でありたい。そんなふうに思わせてくれた、あの日のコンビニのさわやかな店員さんに、心からのありがとうを送りたい。
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